境内と社殿
鳥居をくぐって表門に入ると、静かな境内が広がっています。正面に拝殿・祝詞殿・本殿と一直線に並んでいます。
右側に社務所があり、境内左手には手水屋や土蔵があります。末社がその向こうに見えます。拝殿の前には石造の臥牛や梅樹があり、菅公ゆかりの地を思わせます。また、境内には珍しい筆塚があります。古い筆を社頭に納め、文筆の神である道真公に感謝し、ますますこの道に励もうとして寄進されたものです。
右側に社務所があり、境内左手には手水屋や土蔵があります。末社がその向こうに見えます。拝殿の前には石造の臥牛や梅樹があり、菅公ゆかりの地を思わせます。また、境内には珍しい筆塚があります。古い筆を社頭に納め、文筆の神である道真公に感謝し、ますますこの道に励もうとして寄進されたものです。
菅原の地
現代の菅原は、奈良市の一町名にすぎませんが、平城遷都以前から存在していた古代地名です。その範囲は、かなり広域に及んでいました。『日本書紀』によれば、「推古天皇十五年に菅原の池を作る」とありますが、この大池は西方の蛙股池と考えられます。また垂仁天皇の御陵は「菅原伏見東御陵」と定められ、安康天皇の御陵は「菅原伏見西御陵」と記されています。元明天皇は、平城遷都前の和銅元年9月14日に藤原宮から「菅原」の地に行幸され、21日までこの地にご滞在になり、平城宮予定地をご視察になっています。その後、11月7日に菅原の地の民家90軒を移転し、負郭を給わっています。おそらく平城遷都前は、佐紀の地に接するところまで菅原が延びていて、その辺りの民家が移されたものと考えられます。
こうしたことから考えると、往昔の菅原は春日、佐保、率川、添などとともに、重要な土地柄であったことがわかります。
こうしたことから考えると、往昔の菅原は春日、佐保、率川、添などとともに、重要な土地柄であったことがわかります。
菅原を詠める歌
続千載集 | 郭公しばしやすらへ菅原や伏見の里の村雨の空 | 定 家 |
万葉集 二十 | 大き海のみなそこ深く思ひつゝ裳ひきならし菅原の里 | 石川女郎 |
源氏物語 | 菅原や伏見の里のあれしより通ひし人のあとはたゑにき | 読人しらず |
千載集 | 何となく物ぞ悲しき菅原や伏見の里の秋の夕暮 | 源 俊頼 |
新古今集 | 衣打つ音は枕に菅原や伏見の夢をいく夜残しつ | 慈 円 |
古今集 雑下 | いざこゝに我世は経なむ菅原や伏見の里の荒まくも惜し | 読人しらず |
後撰集 雑三 | 菅原や伏見の晩に見渡せば霞にまがふ小長谷の山 |
神社宝物
菅公御装束 壱函。
天拝山祈雨御木像。
渡唐天神画像 壱幅。
菅公御筆紺紙金泥経文片 壱葉函入。
菅公御所用御硯 等あり。
天拝山祈雨御木像。
渡唐天神画像 壱幅。
菅公御筆紺紙金泥経文片 壱葉函入。
菅公御所用御硯 等あり。